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マイク・シュルツ



マイク・シュルツ
2mを超える長身から投げるMAX156kmの速球を軸にセットアッパーとして活躍。来日初年度の2008年は55試合18ホールド、防御率3.23とまずまずの成績を残すも、翌年はさらに成績を上げ、73試合35ホールド、防御率2.28と、ストッパー永川に繋ぐセットアッパーとして大活躍。

2010年には抑えを任されるが、腰痛などもあり活躍できず、翌2011年は再び中継ぎに回って19試合で防御率1.06を記録するも退団。その後は帰国し、マイナー生活を送るも2013年に再び来日し、オリックスに入団。しかし1試合投げただけで「戦力外通告」を受け退団。その1試合は1イニングを1奪三振含む3人で抑える好投をしてただけに「なんで退団?」と疑問が残る。

ちなみに広島最終年の2011年には同じタイプのサファテが入団し、こちらは抑えとして35セーブを上げる活躍を見せた。サファテ入団はシュルツの成功があったからこそ実現したものかもしれないな。

ハービー・プリアム



ハービー・プリアム
1998年に来日し、オリックス・ブルーウェーヴに入団。98年は規定打席数に達しなかったものの、.285 18本 とそこそこの活躍を見せた。同時期の外国人チームメイトはニールなど。

1998年のプリアムの特に印象深いシーンとしては、この夏に泥沼の連敗地獄に陥っていた千葉ロッテが連敗日本新記録である17連敗を記録した試合での同点ホームラン。ついに連敗脱出か?と思った9回2アウトに、2ランホームランを放った。ここまで好投していた千葉ロッテのエース 黒木が呆然とマウンドにうずくまるシーンは記憶に残っている。

翌1999年は規定打席に到達し、.280 20本 85打点と及第点の成績を残したものの退団。翌2000年にプリアムと入れ替わりで入団したのがアリアス


ゲーリー・レーシッチ



ゲーリー・レーシッチ
長年ドラゴンズの中心を務めた外国人モッカが退団し、替わりに入団した助っ人がゲーリー。1986年に来日し、1年目から36本塁打を放ち活躍するも、前年41本塁打の宇野の不振などあり、チームは5位と低迷。ベテラン谷沢もこの年で引退した。

翌年星野新監督の下、引き続き中心人物として活躍し、トレード加入してきた落合とクリーンナップを形成。結局3年間でゲーリーは退団し、帰国した。