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マーベル・ウイン



マーベル・ウイン
メジャーでも900試合以上に出場するなど実績十分の大物外国人助っ人として期待され来日。かすかな記憶だけど、かなり期待されていたような気がする。ちなみに年俸は当時としては破格の1億4,000万円。

メジャーでは「俊足巧打」的な成績ではあったが、日本ではそれなりに一発も期待されていただろうが、結局13本のホームラン数にとどまり、「巧打」の方も.230と奮わなかった。この年限りで退団。

ちなみにウインとともに1991年に来日したのがオマリー。オマリーは年俸4,000万円の格安助っ人ではあったが、大活躍。難しいものだ。



ハービー・プリアム



ハービー・プリアム
1998年に来日し、オリックス・ブルーウェーヴに入団。98年は規定打席数に達しなかったものの、.285 18本 とそこそこの活躍を見せた。同時期の外国人チームメイトはニールなど。

1998年のプリアムの特に印象深いシーンとしては、この夏に泥沼の連敗地獄に陥っていた千葉ロッテが連敗日本新記録である17連敗を記録した試合での同点ホームラン。ついに連敗脱出か?と思った9回2アウトに、2ランホームランを放った。ここまで好投していた千葉ロッテのエース 黒木が呆然とマウンドにうずくまるシーンは記憶に残っている。

翌1999年は規定打席に到達し、.280 20本 85打点と及第点の成績を残したものの退団。翌2000年にプリアムと入れ替わりで入団したのがアリアス


ケルビン・トーベ



ケルビン・トーベ
1992年オリックスに入団。当時オリックスは「ブルーウェーブ」というチーム名だった。前年まで阪急時代から9年間チームの主力を務めていたブーマーが福岡ダイエーに移籍。その後釜として入団したトーベ。初年度はギリギリ規定打席に到達し、打率 .305 でパ・リーグ打率2位に入る活躍。

前年の活躍からさらなる飛躍が期待された1993年は大不振で「53打席連続無安打(野手としては最多)」という記録を作ってしまう。最終的には打率 .232 。ホームランは2年間で合計20本とパワーはあまりない。動画(1:40すぎから)でも綺麗な流し打ちをみせている。