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ケルビン・トーベ



ケルビン・トーベ
1992年オリックスに入団。当時オリックスは「ブルーウェーブ」というチーム名だった。前年まで阪急時代から9年間チームの主力を務めていたブーマーが福岡ダイエーに移籍。その後釜として入団したトーベ。初年度はギリギリ規定打席に到達し、打率 .305 でパ・リーグ打率2位に入る活躍。

前年の活躍からさらなる飛躍が期待された1993年は大不振で「53打席連続無安打(野手としては最多)」という記録を作ってしまう。最終的には打率 .232 。ホームランは2年間で合計20本とパワーはあまりない。動画(1:40すぎから)でも綺麗な流し打ちをみせている。


メル・ホール



メル・ホール
メジャー通算134発、来日前年はヤンキースのバリバリのレギュラーとして打率.280 ホームラン15本と実績は抜群だったメル・ホール。年俸も2億2千万円と当時としては破格の待遇で千葉ロッテに1993年に加入。

来日初年度は .296 30本 92打点と活躍、翌1994年は数字を落としたものの .277 22本 80打点とまずまずの成績を残す。しかし94年オフに監督に就任したバレンタインには評価されず退団。中日に移籍するも怪我などもあり不本意な成績で1年で退団。

ロッテ時代のチームメイトである愛甲やミューレンなどからは「最低な奴」と酷評されるなど性格にはかなり問題があったようだ。また様々な犯罪を犯し、2009年に禁固45年の実刑判決を受けて、現在は服役中のようです。やはり問題がある人物だったようだ。


ケビン・ミッチェル



ケビン・ミッチェル
ストライキの影響で多くの現役メジャーリーガーが来日した1995年。その中でもメジャー本塁打王の経験を持ち、前年はストの影響で95試合の出場ながら30本のホームランを放っていたケビン・ミッチェルの実績はズバ抜けていた。年俸は4億円と言われ、王貞治新監督の下、飛躍を狙う福岡ダイエーの主砲として大きな期待をかけられ来日。

開幕戦の第一打席でいきなりのホームランを放ち、期待はいっそう膨らんだものの、無断帰国やスル休みなど素行不良もあり、シーズン中の8月に解雇。プロ野球の歴史に残る問題外国人助っ人の一人として多くの人の記憶に刻まれた。

問題児ではあったものの、37試合で本塁打8本、打点28、打率3割と他の大物メジャーリーガー(特にインカビリア)などに比べると数字を残したとも言える。