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カルロス・プリード



カルロス・プリード
メジャー時代は1994年に3勝を上げるが、その他の年は登板自体が無い。1998年には台湾で投げるも今ひとつの成績しか残せず、1年で退団。その後は独立リーグで投げていたが、2000年にオリックスにテスト入団。登録名はカルロス。

1年目は時折先発も務め、7勝を上げるが防御率は5.26と決して良くはない数字だった。でもこの年はチームメイトの戎が「最も高い防御率(3.27)」で最優秀防御率を獲得した年だったので、多少は酌量の余地があるかもしれない。ちなみに同じくチームメイトとなったイチローが日本で最後のプレーをしたシーズンとしても知られる。

翌年は具臺晟ヤーナルの活躍で11試合の登板にとどまり、また防御率もさらに悪化し、8点台となった。この年でオリックスを退団。2003年、2004年には古巣ツインズで登板機会を得たが勝ち星は無し。


ブライアン・コーリー



ブライアン・コーリー
2004年のシーズン途中に巨人に入団。メジャーでのほとんど無かったものの、ストッパーを期待されての入団だった。ただ巨人入団後もパッとしない投球が続き、中継ぎとして21試合に登板。防御率5点台と不本意な成績しかあげられず一年で退団。

2006年から2008年はメジャーで投げる機会も多く、特に2006年はまずまずの成績を残したものの、再びマイナーリーグへ降格。マイナーでくすぶっていた2009年のシーズンオフに千葉ロッテのテストを受け入団。6年ぶりの日本球界で4勝をあげるも、やはり千葉ロッテも一年で退団。その後、韓国、台湾、メキシコを渡り歩いた。


ブライアン・ファルケンボーグ



ブライアン・ファルケンボーグ
故障がちでメジャーでの実績はあまり無いが、2009年にソフトバンクに入団すると、豪速球で圧倒的なピッチングを披露した。2011年の日本シリーズでの大活躍は記憶に残っている。過去の怪我の影響で連投はあまりできず、複数イニングもしないタイプにもかかわらず、連日マウンドに登り、対戦相手の中日を圧倒するピッチングをした。

その後、2014年に楽天に移籍。まずまずの成績を残すが、怪我もあり一年で退団。