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メルビン・ニエベス



メルビン・ニエベス
96年97年にはデトロイトで二年連続20本塁打を放つなどそれなりのメジャー実績を持つスラッガー。99年来日しダイエーホークスに入団すると王監督から打線の核として期待される。しかし荒いバッティングで調子が上がらず二軍落ち。しかし、再び一軍に上がるとある程度荒さは改善され日本一に貢献。翌年もチームに残る。しかしさらに荒さが目立ち退団。2年間で32本のホームランを放ったが、三振も198個もした。


スコット・クールボー



スコット・クールボー
95年、暗黒時代の阪神に入団。.277 22本 77打点というまずまずの成績を残し残留。翌年の爆発を期待したものの、不調で6月に解雇される。95年も96年も阪神は最下位にあまんじたが、特に95年はその中でも気を吐いた方かなと。

弟のマイクも野球選手で、後にコーチとなったが、ファウルボールを頭に受けて死亡するという事故があった。それ以降一塁、三塁ベースコーチのヘルメット着用が義務化されたのは有名な話。


呂明賜



80年代後半の巨人で一瞬だが眩い輝きを放ったアジアの大砲。

クロマティ、ガリクソンという名助っ人がいたために出場機会は限られたが、クロマティが骨折で離脱した88年は1軍デビュー10試合で7本塁打と打ちまくり、一大ブームを巻き起こしました。あまりに鮮烈なデビューで記憶に残ってる人も多いと思います。

88年の後半戦からは相手投手に研究され、成績を落としましたが、記憶に残る助っ人として今も語りつがれています。