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ジェイソン・ハッカミー



ジェイソン・ハッカミー
スワローズに99年入団した技巧派左腕。2年間先発ローテーションを守り、99年には12勝、00年は8勝も防御率は3.35と安定した投球をみせた。ヤクルトは2年で再契約しなかったけど、変わりに入団したニューマンが今ひとつだったので、ハッカミーの退団は悔やまれるところ。アメリカ帰国後のハッカミーは結局メジャーには上がれなかったようです。

元スワローズのエースで2014年に引退した藤井秀悟はブログで「チェンジアップはハッカミーに投げ方を聞いた」と書いてありました。藤井といえばチェンジアップというイメージあるので、その礎はハッカミーのアドバイスだったんだなと思うと感慨深い。



郭李建夫



バルセロナ五輪の台湾代表エースとして銀メダル獲得の原動力となり、93年に来日。6年間在籍し、先発、中継ぎ、抑えと様々な役割を果たした。それなりに活躍したけど、起用法とかに不満もあったようで、98年に退団。その後台湾球界に入り、いきなり最多勝するなど活躍。

ちなみにバルセロナの時の台湾チーム監督はかつて南海に所属した李来発が務め、コーチに李と一緒に南海に入団した高英傑がいた。



フィル・ブラッドリー



記録にも記憶にも残る活躍をし、80年代を代表する助っ人外国人として名を馳せたクロマティの後釜として1991年巨人に入団したブラッドリー。

クロマティ同様、メジャーで1,000本以上の安打を放った実力の持ち主で、年俸約2億円という高額契約が期待の高さをうかがえる。

.282 21本 70打点とまずまずの成績を残したものの1年で退団し、帰国。しかしその後メジャー復帰はならなかった。