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エイドリアン・バーンサイド



メジャー経験は無いものの、オーストラリア代表として日本代表相手に好投したこともあり来日。

グライシンガー、クルーンなどの投手陣、ラミレス、イスンヨプなどの野手陣で外国人枠が埋まっており、なかなか出場機会に恵まれなかったが、先発中継ぎで15試合に登板。防御率3.48とそれなりに安定したピッチングを披露。

しかし翌年は他外国人の活躍や自身の不調などもあり、一軍での登板無しで退団。その後は韓国、台湾でプレーするも、それぞれ1年で退団している。

変則左腕で外国人枠の問題がなければもうちょっと数字は残せたと思う。


グレッグ・ハンセル



1996年はミネソタで50試合、99年にはピッツバーグで33試合を投げるなどメジャーで100試合以上出場し2000年来日し、阪神タイガースに入団。阪神暗黒時代ということもあり勝ち星には恵まれなかったものの、安定した投球でローテーションを守った。

2002年は度重なる怪我で5試合しか投げられず、シーズン終了とともに解雇。打線が良ければもっと勝っていたし、違ったキャリアだったかもなぁ。



バート・ミアディッチ



クローザーとして期待されながら成績不振で早々に退団したミセリの後釜として期待され来日。イニング数を上回る奪三振を記録するも、イニングと同じくらいヒットを打たれ、同じくらいフォアボールを出す安定感の無さでやっぱりクローザー失格となる。シーズン終了前に登録抹消され、そのまま退団。この頃の巨人外国人投手はこんなのばかり。